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「震えさえなければ」から「震えてもいいから」へ

※この記事は2016年12月14日に書かれたものを、サイト移転に伴い、再編集してこちらに公開しました。

「謙遜する」
ということについての記事を書こうと思って、文章を書いていたら、小さい頃から僕がどうやって音楽に接してきたのか…のいろいろが見えてきてしまって、これは長くなりそうなのと産みの苦しみがかなりあるので…と一回寝かせることにしました。で、出来上がったのが前回の記事。

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全く違った内容に着地しましたが、大きな反響がありました。
ありがとうございます。

謙遜する

では、本当のお題。
今回は「謙遜する」ということについて。

先日伺った学校で、生徒さんが良い音で音出しを始めたので褒めたら、素直に
「ありがとうございます」
が帰ってきてとても気持ちが良くなりました。
これって普通のことなのに、あまり無いような気がしたのです。

大体は
「いやいや…」
とか
「そんなことないです」
とか
首をブルブル振られたり…。

一緒に演奏をさせて頂いた演奏家の方のプレイが素晴らしかったから
「素晴らしいですね!」
を伝えても
「いやあ、もう最悪です…」
とか言われてしまうこともありました。
余程自分の演奏が気に食わなかったんでしょうが、これって、伝えた方も何だか気分が良くない。

ちなみに色々と検索しているとこんな記事が。
英語では「そんなことないよ」は謙遜にならないばかりが、相手に失礼にあたるという記事。

褒められたら素直に喜ぶということ。
例えお世辞であっても、言ってくれた相手は自分を喜ばせようとしていることには変わりない。
まずは受け入れよう。
最近はこれでいいんじゃないかなと思っています。

自己否定が生んでいた謙遜…?

そんな僕も「いやいや…」をやっていました。
ただし、謙遜ではなく、ほぼ本気で。

手が震えてどんどん吹くのが大変になっていった頃に
「震えが激しい時間を過ぎて、その後に落ち着いて演奏が出来る」
みたいなことはよくあったのですが。
演奏後に誰にどんなに褒められても
「いやいや、あんなに手が震えていた演奏に良いとこや価値なんか何も無いだろ…」
と素直に受け取ることが出来なくなっていました。
強力な「自己否定」が存在しました。

視点が
「震えているか、震えていないか」
にしかないわけです。
とにかく本番になると、まずはその一点。
そりゃー当時はあんだけ震えてればなぁ(楽器を落としそうになるくらい)とも思うので、しょうがないと言えばしょうがないです。
インパクトも強いので、他にどれだけいいことがあったとしてもなかなか受け入れることが出来ない。

徐々に、少しでもいいこと、なんて見えてこなくなりました。

演奏が上手な人は自己肯定も上手…?

演奏の仕事の現場で出会う、演奏が素晴らしく上手な方々に共通していることがあるとしたら、
「自己肯定力が高い」
ということでしょうか。

自分の優れていることをよく分かっていて、自分の中で肯定している。
それが言わなくとも伝わってくるようである。
謙遜や自己否定があっても、確固たる自信や肯定出来る要素が必ずある。
他人に褒められた時に素直に受け入れられる。

…このような要素があるように感じています。
自己肯定力の高さは、演奏で証明しているから、とも、いい演奏をするために、とも言えるでしょう。

更に、自分や他人を褒めること、それについて喜ぶことが素直にできる方が多いと思います。
何かしら小さいことでもいいことを見つけたら
「それいいね」「素晴らしいね」
と素直に言える。

自分が出来たことを
「これは良かった」「これ良かったでしょ」「よし、出来た!」
…と、言わないまでも自分でしっかり認めている。

…それが出来ればなぁ…とは思いながらも、出来ない。
僕自身は震えの呪縛から、身体も心も縛られたままの日々が続きました。

「震えさえなければ」に隠された密かな「自己肯定」

とは言え、僕も心の奥底ではこっそりこう思っていたわけです。
「震えさえなければ(誰よりも自分が思う、いい音を出しているはず)」
「震えさえなければ(自分のやりたい音楽は表現出来るはず)」
「震えさえなければ(あそこのプレイは最高だったはず)」

この「震えさえなければ」に隠されている、音楽に対する「自己肯定」が僕の音楽を続けたい、演奏し続けたいというモチベーションに繋がっていたと思います。

そして、いつか必ず改善させて…こんな演奏をしてみたい!
こういう演奏をして、お客さんに披露できたらどんなに幸せだろう…。
見返してやる…!
と言うような思いがありました。

なかなか改善に向かわない時はだいぶ心も折れかけていましたが、こっそり持っていた「自己肯定」が実は大きなモチベーションになっていたのは事実です。

「否定」と「肯定」それぞれのエネルギー

逆に
「震えさえなければ」「震えたくない」
は強力な意思、改善に向かうためのモチベーションであったと同時に、
より「震え」を引き起こす思いでもあったことに気付かされていきます。

アレクサンダー・テクニークを勉強し始めて
病院の診断があって根本的な原因が判明
ようやく改善があった頃には
「震えさえなければ」
が段々と
「震えていたけれど」
に変わっていきました。

「(震えていたけれど)こんな演奏も出来た」
「(震えていたけれど)やりたいことが出来たじゃないか」
「(震えていたけれど)音楽をやり続けられた」

この変化が心理的な意味で、僕がより症状の改善に向かう事になった「きっかけ」でした。


アレクサンダー・テクニークの授業で、最初の頃に学んだ事に以下の事がありました。

「(手や足といったパーツより先に)頭と身体全体に役に立つことを考える」「身体への指令は身体の現実とマッチしている必要がある」
「身体への指令は肯定文で」


バジルさんのブログにも詳しい記事があります。


では、この3つに当てはめて僕がやってきたことはこちら。

「(手や足といったパーツより先に)頭と身体全体に役に立つことを考える」

アレクサンダー・テクニークで良く言われる「頭と脊椎」の関係。
僕の場合、手が震えている時、頭を固めている、頭の押し下げ(頭が首から前に突き出したような姿勢とも言えるでしょうか)が起きている事が分かりました。(それ以外にも体に不都合なことが起こっているときは同じように固めていることが多いです。)

「手の震えを止めよう」

より

「頭が動けるようにして(押し下げをやめて)、それによって身体全体が動けるようにしよう」

の方が圧倒的に、役に立つことの方が多い、震えが改善されることが多いです。

(以前の記事にも書きましたが、このあたりのことは文章では伝わりにくいこともあるので、もっと知りたい方、体感したい方はレッスンを受けてみることをオススメします。)

「身体への指令は身体の現実とマッチしている必要がある」

病院に行く前、アレクサンダー・テクニークを知る前の僕の身体の現実として「震えないようにする」は残念ながら不可能でした。
なのに「震えさえなければ」と強く考えていたとしたら、現実とマッチしているとは言えません。「震えてもいいから…」はより現実的だったかも知れません。

「震えてもいいから、出来る音楽をやろう」
「震えてもいいから、吹ける音を鳴らしていこう」
この方がやりたいことに少しでも近づけている実感がありました。
震える自分自身を許してあげているような気持ちになっていって、震えも軽減されていった気がしました。

「身体への指令は肯定文で」

運動を起こす時の指令が「否定形」だと脳は理解しづらい、という現実があります。

(ここからは文を一つずつ理解したら次、というように丁寧に読んでみてください。)

例えば
楽器演奏時に前を向いて欲しい」時に

前を向いて

で済むことを

下を向かないで

と言われると、
一瞬考えてしまうというか、思考や身体が固まるようなことが起こります。

バジルさんのブログの記事にも詳しいですが…

「Aという行動(下を向くこと)をしないで」

と言われると、必然的に

「Aという行動(下を向くこと)をする」

ということを考えてしまいます。

「Aをする」

という指令を身体に送ってから、

「Aをしない」

し始めるのです。

そうすると
「Aをする」動きと
「Aをしない」動きが
同時に発動してしまい、身体や思考に葛藤が起きます。

やりたいことに素直に向かっていないと言えるでしょう。
そして、具体的な方法が無い限りは、残念ながら「Aをする」に引っ張られがちです。

やりたくないことのはずなのに。
結果的に「Aをしなくなった」としてもかなり遠回りになります。

なので代わりに

「Aをしない」

ために

「Bをする」

という別のプランを用意する必要があります。


先ほどの例で言うと

「下を向く(Aをする)」

とどうなるのかを教えた上で

「前を向いて(Bをする)」

の指示をすれば、シンプルでやりやすいはずです。

演奏だと、

「音程が下がらないようにする」

よりは

「音程を上げる」


「タイミングがずれないようにする」

よりは

「タイミングを合わせる」

可能な限りシンプルな肯定文に言い換える方が分かりやすいですし、直で動きに繋げられます。それらの細かい手段、方法も一つずつ肯定文で考えてみるといいでしょう。

※…で、それをどうやってやるの…?というあなたは、レッスンに来てみてくださいね!

この「〜しない」という指示。
特にレッスンをしたり誰かに物事を教えたりする時、アドバイスをする時…に多く言ってしまいがちです。

僕もたまに言ってしまうので、その時は
「〜しないために〜をする」
Aをしないために代わりにBをする
に言い換えることにしています。

何かを教えているとついつい言ってしまうことだったりするので
例えば、誰かのレッスンを受けた時やアドバイスを受けた時に

「〜しないで」

という指示を受けたら、

「(〜しないために)〜をする」

に自分で言い換えられるか試してみてください。

では、この前提を使ってみます。

…さて本題に戻りましょう…。
えっと、「身体への指令は肯定文で」でした。

「震えないようにする」

はバッチリ否定文です!
しかも具体的な有効な方法は特にありません。これはむしろ震える方向に進むのは言うまでもなく…。

先ほども書いたように

「震えないようにするために」   

 ↓

「まずは頭が動けるようにしてあげて、身体全部がついていかせながら演奏してみよう」

とか

「震えないようにするために」 

  ↓

「震えてもいいから、今吹ける音を鳴らしていこう」

の方が肯定文で現実的でした。


否定文よりは肯定文。
「震えないようにする」だと逆に「震える」
「緊張しないように」だと逆に「緊張する」
ということは…

「震えたくない」なら

「震えてもいい」と思う!

そうか、そうなのか…!…いや待てよ…。

…と言ったように。
これを受け入れられるようになるには、かなりの葛藤がありました。
震えたらダメ、震えさえなければ、と強く思っていた僕にとって、反発するのは当たり前。しょうがないこと。
今でもほぼ考えなしで反応してしまうことすらあります。

でも…
震え「たくない」といくら思っても震えるのも事実。
震え「てもいい」と考えると何だかホッとしたことも事実。

「震えてもいい」を本気で受け入れていくことによって、結果的に等身大の自分自身、現実の自分を受け入れることになり、不思議と震えも少なくなっていきました。
徐々に震えよりも音楽そのもののことを考えられるようになっていきました。

そして、「緊張すること」と「手が震えること」も直結しているようで、僕にとっては実はちょっと違っていたということ。
(本態性振戦という症状を持っていました。)
本番の演奏はどうやったって緊張はするということ。
緊張を認めて味方にする、でより力を発揮出来るようになること。に気づき始め、実感、体感していきます。
(この件は次回以降の記事で取り上げます。)

否定と肯定、どちらもアリなんだけれど。

僕にとっては、身体の現実である症状を診断、治療を始めてくれたお医者さんとの出会いによって初めて正しい情報を知り、自分にはどうすることも出来なかった症状の改善が進み…
アレクサンダー・テクニークとの出会いによって、身体の構造の理解や、使い方、否定を肯定に言い換える方法を知って…ようやく、やりたいことをやるために向かえるようになりました。

このブログでは何度となく書いていますが、自分で理解出来ること、やってみて出来そうなこと、実践できることはどんどん試してみて欲しいけれど、どうにもならないと感じたことは早く専門家に頼ること、相談することが必要だと思います。
自分ではどうにもならなかったことに対して、きっと何かしらの前進があります。

「震えるようなこんな自分じゃイヤだから」

という否定からくるモチベーション

「震えてもいいから出来ることをやる」

という肯定からくるモチベーション

どちらも今の僕にとって必要なものでした。
ただ、否定からくるモチベーションしかない時はとても苦しかった。
僕としてはかなり限界のところまで来ていました。
思えば、否定を肯定文に言い換えようとしても具体的な方法は何も知らなかったし、考えようとしても、震えることがあまりに強烈でそういう発想に繋げることが出来なかった。

このブログ記事を書いている時に、アレクサンダー・テクニーク教師であるクラリネット奏者の宮前和美さんが、たまたま同じようなテーマで素晴らしい内容の記事を公開されています。

「自分を褒めること」と「調子に乗ること」

ここまでに書いたような、気持ちの前進があって、ようやく自分のことを少しずつ肯定出来るようになってきました。
褒められたら素直に受け入れられるようになってきましたし、自分を褒められるようにもなってきました。

10代や20代の頃だと、自分を褒めるって「なんか調子に乗っている」と結びつけそうなことですが、自分のやりたいことをやるためには自分自身の気分が良い方が向かっていける。

着実にプロセスを歩んでいく中でのはっきりとした結果なので、それがどれだけ小さい成功だろうが、まぐれっぽい結果と感じようが、それを認めない方が不健康。

…としていくと、「調子に乗っている」こととは似ているようで違うように思います。そもそも他人に迷惑をかけていませんしね。
他人がどう思うかを気にするよりは、自分を大事にしたい。

まずは出来たことを見つける、褒める、喜ぶ、それから気付いたことの情報収集(良いこと悪いこと含めて)、そして次にやるときのための作戦を立てる。そこから次を試す、実験していく…の繰り返し。
どんなことでも上達へのプロセスってこういうことだと思っています。

まとめ

僕がやっていることは

何かをしようとしている時に自分に出している指令、他人に出している指示に「否定形」のものがないか調べてみること。

「否定形」のものがあったら「肯定文」に言い換えられるか試してみること。

その方が分かりやすい、シンプルになるのであれば「肯定文」を取り入れること。

何か上手くいかないことがあった時に「自分は何を否定しているのか」を考えてみること。

「否定形」は必ずしも悪いものではないけれど、付き合い方は自分で選ぶこと。

出来るだけ、自分を大事に扱うことを優先すること。

自分自身のやっていることで少しでも上手くいくことがあったり、成功や前向きな情報があったら、どんなに上手くいかないことや失敗があったとしても、認めて、褒めて、喜ぶこと。


このようなことを実践しています。
思えば過去の記事にも上記のような変換は数多く起こっていました。
実践できているようで良かったです。

というわけで、
否定形に捉われがちだなぁ。という方も
自分を褒めるとかいうの苦手だなぁ。とか、
人に褒められても「いやいや…」って言っちゃうなぁ。
素直に受け止められないなぁ。とかいう方々も。

まずはこういった練習から始めてみませんか?

バジルさんのブログの記事を紹介して今回は終えたいと思います。

バジル・クリッツァーのブログ
拍手や褒め言葉を、本気で受け取ろう | バジル・クリッツァーのブログ - - - 演奏をするひとにとって、「心」という観点で最も大切だと思っているあることの「練習方法」をお伝えした

最近はもっぱらこちらの特集を。最高です。

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