※これは2022年4月に続けて書いた文章です。
(全3回のうちの第2回)
前回(その1)の投稿に対して、様々な反応をいただいたり、わざわざ直接メッセージを頂いたりもしました。
本当にありがとうございます。
今回はより具体的な話をどうしても書かなければなりません。
僕の中では、忘れようにも忘れられない、心の中にしっかりと影を落としている話です。
こんなことを書いたりすることは本当はしたくないし、はっきり言って消耗です。
自分のこれからの為にエネルギーを注ぎたい。
でも、釈然としない思いは何らかの形で消化?咀嚼?したい。
前回の投稿では
「反論」ではなく「整理」みたいなもの
と言い表したりもしましたが、もうなんか「成仏」させたいみたいな感情です笑
なので、良いとか悪いの話ではありません。
全ては僕の責任のもとでの投稿です。
長いですし、読みたく無い人はここまでにして下さい。
この文章はあくまで、起こった事象に対する考察的記録です。
ちなみに信じるか信じないかはあなた次第ですが、スクショを撮ると誰がやったか分かるようなシステムを仕込んであります(笑)
まぁ、それもまた人生。
繰り返しになりますが、こういうことを書き残しておくことに、書いている今でも、迷いも抵抗もありまくります。
第三者視点で考えると、ダサいなぁとか思ってしまうのですが、当の本人としてはこれを書いておくことで、次に進みたいという思いが大きいのが現状です。
…
さて。
フリーランスで働いていると、特に感じることですが、様々なことから新たに仕事を得たり、ひょんなことから簡単に仕事を失ったりします。
それも自分の責任、自分の責任外、それぞれ存在すると思います。
例えば、現場での実力不足、結果を出せなかったことによって「次」に繋がらないこと。
実力不足や様々な事情により、求められているような結果を出せなかった、ミスが起こってしまった、演奏上その他で迷惑をかけてしまったことで、仕事としての「次」が無いというのは「仕方がない」ことと思われます。
それとは別に。
実力や結果とは関係なく、その場にたまたまフィットしなかったから、ただ単純にその時の代理だったから…いろんな理由から、たまたま「次」の縁が無かったと言うこともあり得ると思います。
これも「仕方がない」ことです。
では、そこについて何か「告知」があるのか。
大抵の場合は、何も言われずに音沙汰がなくなるでしょう。
「またよろしくねー」でその後何も連絡が無い。
(忘れた頃にまた連絡を頂くことももちろんある)
ということは常です。
なので、
「次に繋がるかも知れない何か(アドバイス等)を言ってくださるだけマシ」
という考え方もあるかと思います。
「あなたはこうだったから、次に機会があるとすればこうなってくれていたら嬉しい」とか。
次の機会がたとえ無かったとしても、有難い「忠告」「アドバイス」と感じられることもあるかと思います。
これまでのその方との関係性なんかももちろん関わってくるでしょう。
ですが。
例えば、以下のような内容を、次の仕事の発注は無いことが分かった上で、本番終了後にメッセージで送られてきたらどうでしょうか?
「あなたの演奏は酷い内容。ありえない。」
「手がガタガタ震えるような人がこちらに何か意見をしたりするなんてよく出来たものだ」
「他の演奏メンバーはあなたには直接言わないが、あなたの演奏内容や手の震えのことを噂したり、悪く言ったりしている」
「(公演がいくつかあったが)更に酷くなってもらっては困るので、終わるまで黙っていた」
「(そんな状態なのに)ポジティブに振る舞おうとしていることが周りにバレている」
「演奏をすることにもっと真剣に向き合ったらどうか」
さて、このような内容のメッセージ(要約済)に対してどのような返信をすれば良かったのか。
当時、このメッセージを受け取った僕は何も出来ませんでした。
ただただ時が過ぎ去るか、このままプツンと意識を飛ばせるなら飛ばして、もう戻って来たくないか。
簡単に言うとすぐにでも死にたい気分。
多分、僕がどう反応しようが、この先は無いことは明確な内容でした。
ただ「読みました」としか書けませんでした。
演奏内容がどうだったかについては、周りがどう感じたかは僕には分かり兼ねるので、何も言えません。
少なくとも、可能な限りのベストを尽くしました。
もちろん毎回の本番で上手くいかないこと、納得いかないことはあるので、それをどうにかしようと毎日思い悩みながら試行錯誤していたのは事実です。
ただ、後に送られてきた先程のメッセージからも感じるような、演奏中の「圧」というか、プレッシャーは、リハーサルの段階から強烈なものでした。
ここでは言い表せないくらい。
僕にとってはこれまでに無いくらいのものでした。
毎回の本番でベストが出せるよう、試行錯誤しながら、モチベーションをなんとか保ちながら、少しでも良くなるように、真剣に望んでいたつもりでした。
重ねますが、演奏内容の出来不出来については、僕から何の異論も反論もありません。
僕の行った仕事が、仕事を頼んだ方の満足するような内容の出来では無かった。
だから、次はお願い出来ない。
だとしたら、先ほども書いたように、それはプロの現場として「仕方がない」ことです。
対応出来ていなかった僕の実力不足です。
ここで考えたいことは、
「仕方がない」ことと割り切れること
と
「仕方がない」では割り切れないこと
について。
手の震えについても、言い訳をするつもりは全くありません。
しかし、自分のブログでも度々の文章化、情報公開をしつつ、実生活でも演奏活動でも、震えとも付き合いながら生きてきて、近くで見ている人、よく知っている人から、まさか「そこまでのこと」を「そんな言い方」で伝えられるとは思っても見なかったので、とてもショックでした。
事実か事実ではないかも分からない、分かりようがないこと、知らなくてもいいことまで、「そんな言い方」で伝えられたことも、とてもショックでした。
演奏を行う度の試行錯誤の結果、少しずつ得ていた手応えや、かなり思ったようにやり切れたと思っていた演奏に関しても、自分の中では全く認められないものに変貌しました。
「そりゃそうですよね。そんなもんですよね。」
と、これまでに少しずつ自分なりに構築していった、演奏時、本番時の対応の仕方、考え方みたいなものが音を立てて崩れていくのが良く分かりました。
人を信頼することが更に難しくなりました。
全て最悪の出来。僕の演奏に価値はない。
どうせ周りにはそういう風に思われている。
という思いが今でも度々襲ってきます。
…
以上が、僕自身が
「事故」
なんかでは片付けられない、「仕方がない」とは言い切ることが出来ない事象についての考察です。
現状、僕は元気です。
仕事を依頼してくれたり、演奏を認めてくださる方、喜んでくださる方、一緒に演奏をしてくださる方、僕のことを信頼してくださる身近な方々のおかげで生きていますし、現場で以前よりも表現出来ることも結果的に増えました。
様々な経験値も増えました。
異業種の友人もとても増えました。
昔よりも明るくなって、楽しそうと家族にも言われるようになりました。
「おかげさまで」
「皆様もどうぞお気をつけ下さい」
としか言えない事象ですが、対応の仕方としてはいろんな選択肢があります。
冷静に考えることも、黙っておくことも、堂々とやりあうことも、すぐに暴露することも…。
どうぞ1人で抱え込まず、信頼のおけるご友人やご家族を頼ってください。
力になってくれる方は必ず、どこかにいらっしゃると思います。僕も大事な人々に沢山救われてきました。
オチはありません。何が言いたいかも今は特にありません。
何故ならこの話はもう少し続くからです。
(「その3」へ続く)